わせぶんブログ

早稲田大学公認サークル早稲田文芸会のブログです!

早稲田祭2016 「機関」

こんにちは。裸婦餓鬼「機関」編集長をつとめさせいただいております吉水です。

さて、今回のテーマのひとつ、「機関」とは一体何なのでしょうか? 辞書によると、

・ 種々のエネルギーを,機械的力または運動に変換することによって仕事をする機械・装置。

 ・ 国家・法人・政党その他の団体において,意思決定やその執行のために設けられた者または組織体。その行為は団体の行為とみなされる。 「議決-」 「執行-」

・ 特定の目的を達成するために作られた組織や施設。 「報道-」 「金融-」 「交通-」 

・ 動くための仕掛けをもっている作り物。からくり。しかけ。 

 色々ありますが、ざっくりいえば①organization②engine③machineの3つの意味に別れるようです。

 

報道機関や交通機関といった①、内燃機関や蒸気機関といった②、機関銃などをさす③。様々な「機関」があり、日常を支える身近なものもあれば、そうでないものもあります。そして、私たちが普段触れる小説にも、①②③、どの意味であれ「機関」は多く出てくるのではないでしょうか? 機関に属する人々や、機関と対抗する人々、機関を扱うこともあれば機関を作ることもあるかもしれません。

 なぜ機関はこうして描かれることが多くあるのでしょうか? それは私たちの世界と機関が切り離せないものだからでしょう。機関班の小説にはそんな機関と私たちが描かれています。ぜひ手にとってください。

早稲田祭両日 8号館406教室でお待ちしています!

早稲田祭2016 裸婦餓鬼 器官班

皆さんこんにちは。今回裸婦餓鬼「器官」班の編集長を務めさせていただく遠藤です。


 私たちの班は「器官」をテーマにして小説を書きました。


 器官と聞いて、「消化器官」などから連想してまず内臓を思い浮かべる人が多いと思います。しかし器官という言葉の指すものは内臓だけなのでしょうか?


 辞書で引いてみました。

「(organ)生物体に局在し、特定の生理機能をもち、形態的に独立した構造体。一種または数種の組織が一定の秩序で結合する」


 そもそも組織というのは分化した細胞が集まったものです。まず生物の最小単位である細胞があり、集まって組織になる。さらにそれが組みあがっていって、器官となる訳です。つまるところ、細胞が三次元的に組み立てられて一定の形、機能を有していれば、それは器官と言うことができます。

 先ほど挙げた内臓(胃、肺、肝臓 etc.)ももちろんそうですし、脳や骨、耳や鼻、歯なども器官ということが出来ます。

 また、器官というとどうしても動物のそれをイメージしがちですが、植物も細胞で構成されているので、器官を持っています。根や葉、花などがその例です。


 どうでしょう?器官という言葉の指す範囲は、思っていたより広かったのではないでしょうか。

 そう、器官というものは、意外と普遍的なのです。例えば家のリビングを見てみると、机の上には瓶の中で「花」が咲いています。朝起きた時、あなたは「歯」を磨くことでしょう。鏡の中を覗けばあなたの「目」がこちらを覗き返しています。屋内ですこし探しただけでこんなにあるのですから、屋外ならばもっと器官に出くわす機会も増えますね。

 実は私たちの近くにたくさんある「器官」を、小説の形で再確認してみませんか?


11月5~6(土、日)、8号館406教室のわせぶん喫茶にてお待ちしております。

早稲田祭2016 裸婦餓鬼 期間班

 みなさんこんにちは、裸婦餓鬼期間班編集長を務めさせていただく伊藤です。私たちの班は「期間」というテーマで作品を執筆いたしました。

  私たちの生活には様々な「期間」があります。テスト期間、執筆期間、上げていけばきりがありません。

 よくよく考えてみればこれらの「期間」というものは実際に存在するものではありません。ひとつながりの時間を我々が恣意的に区切ることで初めて存在するものです。

  膨大な時間の中でなぜよりによってその時間を他と区別し、特別に取り上げたのか、そこにある考えや価値判断、様々な事情などに物語を見出すことができるのではないでしょうか。また、これは小説を書くこととも無関係ではありません。私たちは物語の中で起こりうる様々な出来事の中から、書くことと書かないことを選択します。これは期間の設定と同じことをしていると言えます。

  話が少々脇道に逸れましたが、期間というものが物語の本質に近いものを持っていると考えると、なかなか興味深いのではないでしょうか。

11月5日6日(土日)、8号館406教室わせぶん喫茶でお待ちしております。


文学フリマ2015秋告知

こんにちは! わせぶんブログを見に来ていただきありがとうございます。

わせぶんは、11月23日(月・祝)に開催される第二十一回文学フリマ東京に出店します。

(詳しくは http://bunfree.net/?tokyo_bun21 こちらをご覧ください)


今回発売するのは、『OUT Vol.2』。

今年5月に行われた文フリの機関誌を引き継いでいます。第二弾です。

内容は、テーマ執筆「不在」と、作品内に「手紙」というアイテムを登場させる企画小説の2本立てです。

前回とはまたひと味違った作品をどうぞお楽しみください。

カバーやしおりもデザインが一新されておりますのでそちらもお楽しみに。

販売価格は、200円です。前回同様文庫本仕様です。

よろしければ、文フリwebカタログ https://c.bunfree.net/c/tokyo21/1F/B/37 もチェックしてみて下さいね。

皆様のご来場、心よりお待ちしております!!!

 

『OUT Vol.2』編集長 藤倉花帆

早稲田祭2015 前日!

 さてさてみなさんお疲れ様です。早稲田文芸会です。

 

 いよいよ明日から早稲田祭スタートです!

 当サークルで販売する冊子の完成版が下の写真です。順番に『静止』『回転』『往復』をテーマとしてサークル員が執筆した小説が詰め込まれております。表紙にも各班のこだわりが見えますね。一冊300円と、文庫本としては破格の価格にも注目です。

 どれも珠玉の一冊、ぜひ全種類コンプリートされてみてはいかがでしょう?

 

 早稲田文芸会は7日・8日両日ともに10:00~17:00の時間帯に企画を行っております。上記の冊子販売と休憩スペースの解放です。飲み物とお菓子も用意しておりますので、是非お立ち寄りくださいませ。

 場所は8号館406号室です!

 

 みなさんのお越しをお待ちしております。

 

 文責:早稲田祭担当 新穗宝

f:id:wasebun1234e:20151106065043j:plain

f:id:wasebun1234e:20151106065049j:plain

f:id:wasebun1234e:20151106065054j:plain

早稲田祭2015 裸婦餓鬼『静止』

 人は多く動いているものや変わっていくもの、つまりに変化に注目することはあっても、変わらないものや動かないもの、つまり「静止」しているものに注目することは存外に少ないかもしれません。というのも、物事が「静止」しているのであれば、以前に了解したその状態と現在の状態がほぼ一緒であるはずなので、同じことを繰り返して確認する必要がなく、一度で何かの状態を把握できる、と言えるからです。変わらないものは一度把握してしまえば理解に易く、それ以降気に掛ける必要がありません。だから、多くの人は何度もその状態を把握する必要のある変化に気を取られがちになり、「静止」についてはおざなりな態度を取りがちになります。

 しかしこの把握というものが厄介で、真に「静止」を把握しようとする人たちは極めて少ないと言えます。というのも、誰が変化を差し置いて「静止」しているものの様子を注視するでしょうか。誰が注視していない「静止」を正確に把握することができるでしょうか。要するに、私たちは元々「静止」しているものへの注意を持っていないのにも関わらず、構造から変化を重視し「静止」を軽視しているのです。ここに「静止」にまつわる問題が浮き彫りになります。例えば、これは何でもよいのですが、動いていない段ボール箱を一時間なり二時間なり、じっと見つめてみたとしましょう。そこで私たちはあまりに多くの意外な段ボール、言い換えれば『注意してみなかったために見落としていた「静止」した段ボールの様子』に気が付きます。B5サイズとA4サイズの大きさの差異や、運搬の不手際でできてしまった右上角のへこみ、天地無用のピクトグラムの色合い、そういった様々な気付きに溢れています。もちろんこの段ボールというのは一例で、私たちは日々見過ごしている沢山の「静止」に囲まれています。

 今回『裸婦餓鬼』という冊子を作るにあたり、私たち『静止班』は、「静止」と向き合うことからはじめました。それは精神的な「静止」であったり、動作の「静止」であったり、肉体の「静止」であったり、あるいは現象としての「静止」であったり、と形は様々です。それはとりもなおさずそれだけ多くの「静止」が身の回りに溢れているということです。また「静止」は私たちの生活に密接しているので、様々な問題や感情を呼び起こす原因となっています。それは同じ「静止」というテーマを取って小説を書いたとしても、作者によって様々な切り口や提起、物語の展開を持ち得ているということです。

 今回の冊子は8人の執筆担当者がそれぞれ「静止」というテーマで短編を書いて持ち寄り、約200ページの文庫本を作成しました。本文内容はもちろん、装丁などのデザインも自ら行っています。「静止」というテーマですが、読んだ人の心を動かせるような作品を目指しています。機会があればぜひ『静止』を手に取り、身の回りの「静止」について考えを巡らせてみてください。

 最後になりますが、わせぶんブログへのアクセスありがとうございます。当日は8号館406教室「わせぶん喫茶」にて皆さまの来場を心待ちにしております。


裸婦餓鬼「静止」班編集長・渡辺さよ

早稲田祭2015 裸婦餓鬼『往復』

 皆さんこんにちは。わせぶんブログへのアクセスありがとうございます。
 今年の裸婦餓鬼「往復」班編集長を務めさせていただきました、西山です。

 裸婦餓鬼「往復」班ではその名の通り、「往復」という単語をテーマの中心に据え、メンバーそれぞれに小説を書いてもらいました。

「往復」とは何か。
 恐らくみんなこの問いにぶち当たったことでしょう。それは編集長である私も例外ではありませんでした。
往復すること。行って帰ってくること。
 私たちの生活は、このある種の画一的なリズムによって形成されています。しかし「往復」という言葉は、常に人や物体の単なる物理的な移動のみを示すものではありません。
 試しに、この単語を辞書で引いてみましょう。すると、次のように載っています。

1.行って帰ってくること。行きと帰り。ゆきき。
2.言葉や手紙のやりとり。
3.交際

 往復葉書というものがあります。あれは手紙それ自体以上に、そこに載せた言葉を届けるために存在します。
 また、私たちが誰かと話すとき、そこには言葉の「往復」があります。
 人との付き合いには、感情の「往復」があります。
 どこかに行って帰るとき、私たちはまさに「往復」のなかにあります。

 我々の生活のなかに息づく「往復」という言葉。人との交流。外の世界とのやりとり……。何気なくこなしているそのなかに、我々は何を見出すことができたのでしょうか。私が挙げたものは、あくまでイメージのひとつにしか過ぎません。書き手それぞれが考え抜いた「往復」には、ひとつとして同じものはなく、そのイメージは書き手の数だけ存在します。皆様には私たちが作製した裸婦餓鬼「往復」を手に取って、それぞれの作品を楽しんでいただければと思います。11月7~8日(土)(日)、8号館406教室、わせぶん喫茶にてお待ちしています。

裸婦餓鬼「往復」班編集長・西山航太